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思考と行動は戦後あるいは70年代の大蔵官僚に固有な特性ではなく、遠くは江戸時代や明治時代に遡ることの可能な「依らしむべし、知らしむべからず」にある。
90年代の大蔵省の金融失政の核心は何といっても「先送り行政」に尽きる。
問題や事態の悪化を十分に認識したにもかかわらず、問題の即決を先に延ばし、成り行きにまかせながら事態の好転を期待するというものだ。
何故に優秀なエリートが事態の決着を「先送り処理」するのだろうか。
二つの要因が重なりあって作用した。
一つは優秀と自他とも自負する大蔵官僚の「無謬性」意識だ。
自分たちの判断は決して間違ったりはせず、したがってかりに間違っても他人(国民や市場など)から指摘されることに我慢ができないということである。
いってみれば、強烈なエリート意識だ。
実際に彼らは優秀だし、しかも市場や国民の知りえない膨大の情報を掌握しているから「民」に対して、常に上位に位置しているとの感覚があり、場合によったら情報を隠したり、小出しにしたり、ここで「大蔵省批判論」を展開するつもりはない。
別世紀の新しい金融行政の構築にとって、90年代の金融行政の失敗を明確に位置づけておくことが必須だからだ。
「愚者は成功に学ぼうとするが、賢者は失敗に学ぶ」というではないか。
大蔵省の金融失政は何故に起こったのか。
90年代の金融行政の流れをみれば、その特質についてこう集約可能である。
「隠蔽・先送り・場当たり」だ。
むろん「隠蔽」といっても大蔵官僚に悪意があったわけではない。
ただ、真実の計数を公開すれば、「幼稚な国民」は怖れ、不安を抱き、信用秩序が混乱に陥りリスクがあると「過保護ママ」の心理を持っただけであろう。
これは大蔵官僚の、偏差値的エリートの、良くいえば「誇持」、「思いやり」、悪くいえば「倣慢」、「お節介」だ。
無用な心配を市場や国民に与え、事態を混乱化させてはエリートとしての軽重を問われかねない。
だから、「臭いものには蓋」が最善ではないが、次善、三善な行動となる。
実際に、戦後長く、こうした「隠蔽的行政」で物事は順調に進んできたではないか。
だから、「隠蔽」は大蔵官僚の世界でいわばもし、この神話が成り立たねば、「先送り」は事態の解決どころか悪化を招来することになるからだ。
戦後の大蔵省の護送船団的な金融行政手法は「右肩上がり神話」を背景に、ほぼ完壁に機能してきた。
だから、大蔵官僚はもとより、金融界も市場も大蔵型の漸新主義的な「先送り行政」について全幅の信頼を寄せた。
以上の「無謬性」と「右一肩上がり神話」のもとに90年代の大蔵省の金融行政が展開されてきた。
既述のように、帥年代前半に日本の金融システムは「資産デフレ」に巻き込まれ、巨額な不良債権を抱え込んでしまった。
これは戦後別年間で初めての経験でもあったし、先の「無謬性」と「右一肩上がり神話」は強力だったから、大蔵官僚は当然のごとく、不良債権の処理を「先送り」を画策した。
しかし、不良債権のなかで住宅金融専門会社関連の先送りは次第に無理となった。
90年代初めに大蔵省官房検査部は住専6社が実質的に破綻している事実を知ったが、当時の銀行局長はこの問題を「先送り」した。
国会証言で寺村局長(当時)は「そのうちに地価が上昇し、問題解決を先に送れば解決が容定義などを勝手に変更するなど「情報操作」を行って、自分たちの誤謬をごまかしたりもする。
好例が90年代の金融機関の不良債権の公表数字である。
「問題がない」ことを強調し、解決や処理を「先送り」するための、情報操作なのだ。
「先送り」のもう一つの要因は大蔵官僚に限ったことではないが、戦後の「右一眉上がり神話」への強烈な信仰である。
戦後側数年にわたって、日本経済は歴史的にもまれにみる大変にハッピーというか幸運に恵まれた。
これが「右一眉上がり神話」だが、問題が生起しても、時間が少し経過すれば、つまり問題を「先送り」すれば、自然に解決、解消するということだ。
問題を即解決するとなれば、責任の所在が明確にされ、人間関係にせよ、組織的な関係にせよ、当事者間に亀裂や対立が起こるのは必至。
だが、「先送り」すれば、そうした紛争や対立が回避され、当事者すべてがハッピーになる。
この意味で「先送り処理」とは平和的だし、コストも低い解決手法なのである。
ただ、それは「右肩上がり神話」が貫徹している場合に限られる。
易になると判断した」としている。
だが、腐った住専関連の不良債権を放置することが次第に難しくなってきたと同時に、米国が早期処理を強く迫ってきた。
拙著「94年デフレ』(日本経済新聞社刊)に詳細は譲るが、1ドル80円前後の超円高を逃れるためには、米国の協力が不可欠だったが、この米国が住専の早期処理を強硬に大蔵省に迫った。
だから、96年末6850億円の税金投入による住専処理案が発表され、軒余曲折を経て朋年6月に法律が成立をみた。
ここで、大蔵省はまたの誤謬を、それも決定的な失政を犯すところとなる。
3「先送り処理令」の誤算(預金払い出し)は行わないことが盛り込まれた。
このことは一般にペイオフの時期を明記したものとのみ理解されているが、この立法主旨は異なる。
それは「金融機関の不良債権(住専関連以外の、ゼネコンなど)の処理については今後5年間かけて実行すればよい」という、不良債権の「先送り処理令」なのだ。
換言すれば、大蔵当局が不良債権処理の先送りについてお墨付きを与えたということである。
具体的には2001年3月を最終期限とするということだ。
このことは帥年代前半に組み込まれた「資産デフレ」を別世紀初頭まで先送りし、結果として居座らせることを意味する。
日本経済を戦後初めての「資産デフレ」に長期的に晒させることをこの94年6月の「先送り令」が犯していることをほとんどの金融関係者は見落としている。
前代未聞の「資産デフレ」圧力に伴う、「逆資産効果(個人消費・設備投資の消極化)」は財政金融政策の全開で少なくとも93年4月までは封印できた。
そして、不良債権に居座られた金融機関による、もう一つの「資産デフレ」圧力である「貸し渋り効果」についても、「先送り令」が94年6月の住専関連法の成立で大蔵省は90年代に金融システムが抱え込んだ不良債権問題は「峠を越した」と判断ミスを犯したうえに、さらなる失敗を犯す。
これがその後の、見るも無残な金融失政の震源となる。
95年6月の住専関連法と同時に、「預金保険法改正」も通過した。
金融機関がその不良債権処理を先送りできれば、強いて貸し渋り行動に走る必要がないからだ。
かくして、大蔵省は「資産デフレなどとるに足らず、不良債権問題はネグリジブルの問題」と情況判断を完全に誤り、日本経済を長期的閉塞に閉じこめるとの失政を犯すことになってしまったのだ。
住専関連以外の不良債権処理については護送船団的枠組みのもとで、漸進的に行えばよいということになったから、金融システムに巨額な不良債権が居座ったままとなった。
たしかに、経営基盤の脆弱なHt銀行にとってみれば、自力すなわち業務純益で不良債権を処理するには別世紀初頭までの期間がどうしても必要だった。
それを各金融機関の自由裁量に任せれば、強靭な銀行はl〜2年で処理を完了してしまう。
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